春秋・越
范蠡の名言・逸話30選
呉を倒し、商人に転身して大富豪。得意な話は「引き際と、お金の流れ」。
「時を得て怠る無かれ、時は再び来たらず」
范蠡の逸話と名言
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1会稽の降伏
呉に大敗した越王勾践に、范蠡は恥を忍んで降伏するよう勧めた。そして自らも王に従い、呉で人質の日々を送った。
「満を持する者は天と与にし、傾を定むる者は人と与にし、事を節する者は地と与にす」
調子のいい時、傾いた時、それぞれにやるべきことがある
出典:国語・越語下/史記・越王勾践世家
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2まだ早い
帰国した勾践は何度も呉を攻めたがったが、范蠡はそのたびに、まだ時ではないと止め続けた。
「未だ可ならざるなり」
焦る心を抑えて、時を待つ
出典:国語・越語下
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3時は再び来たらず
呉王夫差が北の会盟に出て国を空けたとき、范蠡はついに攻撃を進言した。この好機を逃してはならないと説いた。
「時を得て怠る無かれ、時は再び来たらず」
待った分、来た機会は迷わずつかむ
出典:国語・越語下
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4天の与うるを取る
追い詰められた夫差が和睦を願うと、勾践は哀れんで許そうとした。范蠡は、天が与えるものを取らなければ災いを受けると止めた。
「天の与うるを取らざれば、反って其の咎を受く」
情けをかける場面と、決め切る場面がある
出典:史記・越王勾践世家
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5使者を追い返す
なおも和睦を求める呉の使者に、范蠡は自ら太鼓を打って兵を進め、王はもう政を私に任せたと告げて追い返した。
「王已に政を執事に属せり」
嫌な役回りを、自分が引き受ける
出典:史記・越王勾践世家
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6主辱めらるれば臣死す
呉を滅ぼした後、范蠡は勾践に、主君が辱めを受けたのに死ななかったのは雪辱のためだったと言い、罪を受けたいと願って身を引いた。
「主憂うれば臣労し、主辱めらるれば臣死す」
区切りがついたら、潔く去る
出典:国語・越語下
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7長い首と尖った口
范蠡は、勾践は苦難は共にできても、楽しみは共にできない人だと見抜いていた。
「長頸烏喙、与に患難を共にすべく、与に楽しみを共にすべからず」
一緒に苦労できる人と、成功を分け合える人は違う
出典:史記・越王勾践世家
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8狡兎死して走狗烹らる
越を去った范蠡は、残った同僚の文種に、鳥がいなくなれば弓はしまわれ、兎が死ねば猟犬は煮られると手紙で警告した。文種は従わず、のちに自害を命じられた。
「蜚鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」
役目を終えた後の身の振り方を考える
出典:史記・越王勾践世家
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9大名の下
范蠡は、大きな名声を得た者は、その場所に長くは留まれないと考え、財宝だけを持って舟で越を去った。
「大名の下には、以て久しく居り難し」
名声の絶頂にこそ、引き際がある
出典:史記・越王勾践世家
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10五湖に浮かぶ
范蠡は小舟に乗って五湖に漕ぎ出し、二度と越には戻らなかった。後世には、美女西施を連れて行ったという伝説も生まれた。
「乃ち軽舟に乗りて、以て五湖に浮かぶ」
手放して、身軽になる
出典:国語・越語下
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11斉で畑を耕す
斉に移った范蠡は名を鴟夷子皮と改め、海辺で親子ともに畑を耕した。間もなく数十万の財産を築いた。
「父子力を治め、居ること幾何も無く、産を致すこと数十万」
肩書きを捨てても、力は残っている
出典:史記・越王勾践世家
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12宰相の印を返す
斉の人々に請われて宰相になった范蠡は、まもなく辞任した。民の身で千金を得て宰相にまでなれば十分で、それ以上の名誉は不吉だと考えた。
「久しく尊名を受くるは不祥なり」
上り詰めたら、長居しない
出典:史記・越王勾践世家
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13財を分け与える
宰相を辞めた范蠡は、築いた財産をすべて友人や郷里の人々に分け与え、わずかな宝だけを持って去った。
「尽く其の財を散じ、以て知友郷党に分与す」
得たものを、人に分ける
出典:史記・越王勾践世家
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14陶の地を選ぶ
范蠡は、各国からの道が通じ物資が集まる陶の地こそ商売に最適と見て、そこに移り住み陶朱公と名乗った。
「陶は天下の中、諸侯四通し、貨物の交易する所なり」
どこでやるかで、結果は大きく変わる
出典:史記・越王勾践世家
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15三たび千金
陶朱公は十九年のうちに三度も千金の富を築き、そのうち二度は貧しい友や親族に分け与えた。
「十九年の中、三たび千金を致し、再び分散して貧交疏昆弟に与う」
稼ぐことと、分け与えることは両立する
出典:史記・貨殖列伝
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16日照りに舟を
范蠡は計然の策を用いた。日照りの時に舟を、洪水の時に車を仕入れておく。需要が来る前に備える考え方である。
「旱なれば則ち舟を資し、水なれば則ち車を資す」
みんなが欲しがる前に、準備しておく
出典:史記・貨殖列伝(計然の策)
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17高値は安値に返る
計然の策では、値が上がりきれば必ず下がり、下がりきれば必ず上がるとし、高い時は惜しまず売り、安い時は迷わず買えと説いた。
「貴上極まれば則ち賤に反り、賤下極まれば則ち貴に反る」
極まったものは、必ず反転する
出典:史記・貨殖列伝(計然の策)
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18お金は流れる水
計然の策では、お金も品物も溜め込まず、流れる水のように回し続けることが大切だとした。
「財幣は其の行くこと流水の如くならんことを欲す」
お金は、回してこそ生きる
出典:史記・貨殖列伝(計然の策)
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19腐る物は持たない
計然の策では、腐りやすい食品を在庫として長く抱えてはならないと戒めた。
「腐敗して食の貨は、敢えて居く勿れ」
傷みやすいものは、早めに手放す
出典:史記・貨殖列伝(計然の策)
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20人を選び時に任す
陶朱公は、人に無理を強いて稼ぐのではなく、信頼できる人を選び、時の流れに任せて商売した。
「能く人を択びて時に任ず」
人選びと、時を読むこと
出典:史記・貨殖列伝
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21富みて徳を行う
後世、富豪といえば皆が陶朱公の名を挙げた。司馬遷は、彼を富んでなお徳を行う人だと評した。
「富みて好んで其の徳を行う者なり」
豊かさは、人のために使ってこそ
出典:史記・貨殖列伝
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22次男の事件
陶朱公の次男が楚で人を殺して捕らえられた。陶朱公は末の子に大金を持たせて送ろうとしたが、長男が強く望んだので長男を送った。
「吾固より其の必ず其の弟を殺すを知るなり」
人には、それぞれ向き不向きがある
出典:史記・越王勾践世家
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23苦労を知る長男
長男は大金を惜しんで取り返し、弟は救えなかった。陶朱公は、苦労して育った長男には財を手放せないと分かっていたと語った。
「彼少くして我と与に倶に苦を見、生を為すの難きを知る」
育ちが、お金の使い方を決める
出典:史記・越王勾践世家
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24悲しみを受け入れる
次男の亡骸を迎えた家族は悲しんだが、陶朱公は一人笑い、こうなることは分かっていたと静かに語った。
「吾日夜固より以て其の喪の来たるを待つ」
分かっていた結果は、静かに受け止める
出典:史記・越王勾践世家
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25盈ちて溢れず
范蠡は勾践に、天の道は満ちてもあふれず、盛んでも驕らず、苦労しても誇らないものだと説いた。
「天道は盈ちて溢れず、盛にして驕らず、労して矜らず」
勢いがある時ほど、控えめに
出典:国語・越語下
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26天の時と人の事
范蠡は、天の時が来ていなければ自分から仕掛けず、人の側の動きがなければ自分から始めるなと説いた。
「天時作らずんば、人の客と為る勿れ。人事起こらずんば、之が始めを為す勿れ」
条件がそろうまで、先に動かない
出典:国語・越語下
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27陰と陽
范蠡は戦い方について、後から応じる時は静かに、先に仕掛ける時は大胆にと、陰と陽を使い分けよと説いた。
「後れては則ち陰を用い、先んずれば則ち陽を用う」
状況に応じて、静と動を使い分ける
出典:国語・越語下
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28十年の備え
越が人を増やし民を鍛え直している様子を見て、呉の伍子胥は、越は十年で人を増やし十年で教え、二十年後に呉を沼にすると恐れた。
「越十年生聚して、十年教訓す」
長い時間をかけた準備は、強い
出典:春秋左氏伝・哀公元年
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29君は制を行い、臣は意を行う
国の半分を与えるから残れと引き止める勾践に、范蠡は、王は命令を下せばよいが、私は自分の意志に従うと答えて去った。
「君は制を行い、臣は意を行う」
どんなに引き止められても、自分の道を選ぶ
出典:国語・越語下
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30陶朱の名
范蠡は政治家としても商人としても成功し、陶朱公の名は後世、商売の神様のように語り継がれた。
「故に富を言う者は、皆陶朱公を称す」
二つ目の人生で、もっと大きく花開くこともある
出典:史記・貨殖列伝
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