三国・蜀
諸葛亮の名言・逸話30選
三顧の礼で迎えられた名軍師。得意な話は「準備と忠義、長期の構想」。
「鞠躬尽力、死して後已む」
諸葛亮の逸話と名言
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1隆中で耕す
若い諸葛亮は隆中で畑を耕しながら梁父吟を好んで歌い、自らを春秋戦国の名宰相・名将になぞらえていた。周りはそれを認めなかった。
「毎に自ら管仲・楽毅に比す」
人に認められる前から、志を持つ
出典:三国志・諸葛亮伝
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2三顧の礼
劉備は身分の低い諸葛亮のもとを三度訪ね、天下のことを尋ねた。諸葛亮はその恩に感じて、劉備に仕えることを決めた。
「三たび臣を草廬の中に顧み、臣に諮るに当世の事を以てす」
礼を尽くされると、人は全力で応えたくなる
出典:出師表
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3隆中対
初めて会った劉備に、諸葛亮は曹操とは争わず、孫権と結び、荊州と益州を取って天下を三分する構想を語った。
「益州は険塞、沃野千里、天府の土なり」
長い構想を持つ人は、迷わない
出典:三国志・諸葛亮伝
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4水魚の交わり
劉備が諸葛亮ばかり重んじるので、関羽と張飛は不満だった。劉備は、自分にとって孔明は魚にとっての水だと二人をなだめた。
「孤の孔明有るは、猶魚の水有るがごとし」
なくてはならない存在に、なる
出典:三国志・諸葛亮伝
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5孫権を説く
曹操の大軍が迫るなか、諸葛亮は呉に赴き、戦うか降るか早く決めよと孫権を挑発的に説いた。孫権は奮い立ち、同盟が成った。
「若し呉越の衆を以て中国と抗衡する能わば、早く之と絶つに如かず」
迷っている相手には、決断を迫る
出典:三国志・諸葛亮伝
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6草船で矢を借りる後世の創作
霧の深い朝、藁を積んだ船で曹操の陣に近づき、射かけられた十万本の矢を持ち帰った。正史にはない、演義の創作である。
「奇謀を用いて孔明箭を借る(演義第四十六回の回目)」
手元にないものは、相手から調達する
出典:三国志演義
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7東風を祈る後世の創作
赤壁の火攻めには東南の風が要った。演義の諸葛亮は祭壇で風を祈り、風向きが変わって火攻めが成功した。
「万事倶に備わり、只東風を欠く」
準備を尽くし、最後の機を待つ
出典:三国志演義
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8白帝城の託孤
臨終の劉備は、息子に才がなければ君が国を取れと言った。諸葛亮は涙を流し、死ぬまで忠義を尽くすと誓った。
「臣敢えて股肱の力を竭くし、忠貞の節を效し、之に継ぐに死を以てせん」
託された信頼に、一生をかけて応える
出典:三国志・諸葛亮伝
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9出師の表
北伐に出る前、諸葛亮は若い皇帝劉禅に上奏文を残し、賢臣を近づけ小人を遠ざけるよう説いた。
「賢臣に親しみ小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり」
誰をそばに置くかで、組織は決まる
出典:出師表
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10宮中府中
出師の表で諸葛亮は、宮廷も政府も一つであり、賞罰の基準を分けてはならないと劉禅に説いた。
「宮中府中、倶に一体為り。陟罰臧否、宜しく異同あるべからず」
身内にも外にも、同じ基準で
出典:出師表
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11泣いて馬謖を斬る
第一次北伐で、命令に背いて街亭で大敗した愛弟子の馬謖を、諸葛亮は涙を流しながら処刑した。
「孫武の能く天下を制勝する所以は、法を用うること明らかなればなり」
情があっても、筋は曲げない
出典:三国志・馬謖伝/襄陽記
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12自らを降格する
街亭の敗北の責任は人選を誤った自分にあるとして、諸葛亮は皇帝に自らの位を三等下げるよう願い出た。
「臣明人を知らず、事を恤みて闇多し」
失敗の責任を、まず自分が取る
出典:三国志・諸葛亮伝
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13七縦七擒
南方の反乱を鎮めるため、諸葛亮は首領の孟獲を七度捕らえて七度放した。孟獲は心から服し、二度と背かないと誓った。
「公は天威なり。南人復た反せず」
力で抑えるより、心から納得させる
出典:漢晋春秋(三国志注)
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14心を攻む
南征に出る諸葛亮に、馬謖は「城を攻めるより心を攻めよ」と進言した。諸葛亮はその言葉を受け入れて戦った。
「心を攻むるを上と為し、城を攻むるを下と為す」
相手の心を動かすのが最上の策
出典:襄陽記(三国志注)
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15屯田と木牛流馬
兵糧不足で何度も撤退した諸葛亮は、輸送用の木牛・流馬を作り、さらに前線で兵に畑を耕させて長期戦に備えた。
「兵を分ちて屯田し、久駐の基と為す」
同じ失敗を、仕組みで繰り返さない
出典:三国志・諸葛亮伝
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16死せる諸葛
五丈原で諸葛亮が没し、蜀軍は撤退した。司馬懿が追うと蜀軍が反撃の構えを見せたので、司馬懿は慌てて退いた。
「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」
備えは、自分がいなくなっても働く
出典:漢晋春秋(三国志注)
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17天下の奇才
蜀軍の去った陣営跡を見て回った宿敵の司馬懿は、その布陣の見事さに感嘆した。
「天下の奇才なり」
敵にさえ認められる仕事をする
出典:三国志・諸葛亮伝
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18子を誡める書
諸葛亮は息子に宛てた手紙で、静かな心で身を修め、つつましく徳を養うよう説いた。
「澹泊に非ざれば以て志を明らかにする無く、寧静に非ざれば以て遠きを致す無し」
欲を薄く、心を静かに。遠くへ行くために
出典:誡子書
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19水は平らか
諸葛亮に罷免された李厳は、諸葛亮の死を聞くと、もう復職の望みがないと嘆いて病死した。処分された者からも公正さを信じられていた。
「水至って平らかにして、邪者之に法る」
公正な人には、処分された者さえ信頼を寄せる
出典:習鑿歯の評(三国志注)
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20刑は厳しくとも
陳寿は、諸葛亮の政治は厳しかったが恨む者がいなかったと評した。心を公平に用い、賞罰の基準がはっきりしていたからだった。
「刑政峻しと雖も怨む者無きは、其の心を用うること平らかにして勧戒明らかなればなり」
厳しくても、公平なら恨まれない
出典:三国志・諸葛亮伝(陳寿の評)
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21桑八百株
諸葛亮は皇帝に、自分の財産は成都の桑八百株とわずかな田だけで、死後に余分な財を残さないと上奏した。死後その通りだった。
「臣死するの日、内に余帛有り外に贏財有りて、以て陛下に負かしめず」
地位があっても、私腹を肥やさない
出典:三国志・諸葛亮伝
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22法で治める
蜀を取った後、法正は劉邦にならって法を緩めよと勧めた。諸葛亮は、緩みきった蜀だからこそ法を厳しくし、恩を知らせるのだと答えた。
「之を威するに法を以てし、法行わるれば則ち恩を知る」
状況によって、優しさの形は変わる
出典:蜀記(三国志注)
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23空城の計後世の創作
演義では、大軍に迫られた諸葛亮が城門を開け放ち、楼上で琴を弾いてみせた。司馬懿は伏兵を疑って退いた。正史にはない話である。
「城門を大いに開き、楼上に琴を弾ず」
慌てた時ほど、落ち着いて見せる
出典:三国志演義
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24子午谷の策を退ける
魏延は奇襲で長安を突く策を出したが、諸葛亮は危険すぎると退けた。陳寿は、臨機応変の策は諸葛亮の得意ではなかったと評した。
「応変の将略は、其の長ずる所に非ざるか」
慎重さは長所にも短所にもなる
出典:魏略(三国志注)/陳寿の評
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25妻選び
諸葛亮は、容姿は良くないが才知に優れた黄承彦の娘を妻に選んだ。世間は「孔明の嫁選びを真似るな」と冷やかした。
「孔明の婦を択ぶを作すこと莫かれ、正に阿承の醜女を得たり」
人の評判より、自分の目で選ぶ
出典:襄陽記(三国志注)
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26徐庶の推薦
徐庶は劉備に諸葛亮を推薦し、呼びつけるのではなく自ら訪ねるべきだと勧めた。
「此の人は就きて見るべく、屈して致すべからず」
優れた人には、自分から会いに行く
出典:三国志・諸葛亮伝
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27梯子を外す
継母に疎まれた劉琦は助言を求めたが、諸葛亮は応じなかった。劉琦が楼上に招いて梯子を外すと、ようやく外へ出よと助言した。
「君は申生の内に在りて危うく、重耳の外に在りて安きを見ずや」
居づらい場所から、離れる勇気も要る
出典:三国志・諸葛亮伝
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28法正を惜しむ
劉備が夷陵で大敗すると、諸葛亮は、法正が生きていれば東征を止められたはずだと嘆いた。
「法孝直若し在らば、則ち能く主上を制して東行せしめざらん」
自分にできないことができる人の価値
出典:三国志・法正伝
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29南中に官を置かず
南方を平定した後、諸葛亮は漢人の役人や兵を置かず、現地の首領に治めさせた。そのほうが互いに争いが少ないと考えた。
「綱紀粗定まり、夷漢粗安んず」
任せたほうがうまくいくこともある
出典:漢晋春秋(三国志注)
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30自ら帳簿を調べる
諸葛亮が帳簿まで自分で確かめるので、部下の楊顒が「主人が全部やれば疲れるだけだ」と諫めた。諸葛亮は謝したが、働きぶりは変わらなかった。司馬懿はそれを聞いて言った。
「食少なくして事煩わし、其れ能く久しからんや」
一人で全部抱えると、長くはもたない
出典:三国志・楊戯伝注/魏氏春秋(三国志注)
孔子春秋・魯
老子春秋・周
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范蠡春秋・越
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蘇軾北宋
王陽明明