秦
蒙恬の名言・逸話30選
万里の長城を築いた、秦の将軍。得意な話は「大事業と、忠義の行方」。
「功信を秦に積むこと三世なり」
蒙恬の逸話と名言
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1斉の人の家系
蒙恬の家はもともと斉の出で、祖父の蒙驁の代に秦に仕えた。
「蒙恬の先は斉の人なり」
よそから来た家が、国を支えることもある
出典:史記・蒙恬列伝
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2祖父蒙驁
祖父の蒙驁は秦の将として韓・趙・魏を攻め、多くの城を取った。
「蒙驁、秦の将と為り、韓を伐ちて成皋・滎陽を取る」
先人の積み重ねの上に立つ
出典:史記・蒙恬列伝
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3父蒙武
父の蒙武は王翦の副将として楚を攻め、楚王を捕らえた。
「蒙武秦の裨将軍と為り、王翦と楚を攻め、大いに之を破る」
支える役目にも、大きな功がある
出典:史記・蒙恬列伝
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4法を学ぶ
蒙恬はもともと法律を学び、裁判の文書を扱う仕事をしていた。
「恬嘗て書して獄典文学と為る」
武将の前に、学びの土台があった
出典:史記・蒙恬列伝
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5斉を破る
名門の出である蒙恬は将となって斉を攻め、大いに破り、都の内史に任じられた。
「蒙恬、家世を因りて秦の将と為り、斉を攻め、大いに之を破る」
家柄の期待に、結果で応える
出典:史記・蒙恬列伝
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6李信と楚を攻める
若い頃、蒙恬は李信とともに楚を攻めた。李信は平輿を、蒙恬は寝を攻めた。
「李信は平輿を攻め、蒙恬は寝を攻む」
若い頃の挑戦と失敗も、糧になる
出典:史記・白起王翦列伝
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7三十万の北伐
天下統一後、蒙恬は三十万の兵を率いて北の匈奴を追い払い、黄河の南を奪った。
「蒙恬をして三十万の衆を将い、北のかた戎狄を逐い、河南を収めしむ」
大きな仕事を、一手に任される
出典:史記・蒙恬列伝
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8四十四県
蒙恬が取った黄河南岸の地には、四十四の県が置かれた。
「河南の地を取り、四十四県を為す」
切り開いた土地に、人の暮らしが生まれる
出典:史記・秦始皇本紀
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9万里の長城
蒙恬は地形を利用して要害を築き、西の臨洮から東の遼東まで、一万里余りに及ぶ長城を築いた。
「臨洮に起こり、遼東に至る、延袤万余里」
地形を生かして、大きなものを築く
出典:史記・蒙恬列伝
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10十余年の駐屯
蒙恬は上郡に十年以上とどまり、その威名は匈奴を震え上がらせた。
「暴師外に居ること十余年、上郡に居る。是の時、蒙恬の威匈奴に振るう」
長く同じ場所を守り抜く
出典:史記・蒙恬列伝
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11馬を南に牧せず
漢の賈誼は、蒙恬が長城を守った頃、胡の人々は南に下って馬を放牧しようとしなかったと書いた。
「胡人敢えて南下して馬を牧せず」
守りの強さが、争いを遠ざける
出典:賈誼「過秦論」
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12直道を通す
蒙恬は山を削り谷を埋めて、都から北の九原まで一直線の軍用道路を通した。
「山を塹ち谷を堙め、直道を通ず」
道を作れば、すべてが速くなる
出典:史記・蒙恬列伝
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13外の兄、内の弟
兄の蒙恬は外で軍を率い、弟の蒙毅は朝廷で始皇帝の謀臣を務めた。兄弟は忠義と信頼で名高かった。
「恬は外事に任じ、毅は常に内謀を為す。名づけて忠信と為す」
役割を分けて、支え合う
出典:史記・蒙恬列伝
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14始皇の寵愛
始皇帝は蒙氏を深く信頼し、将軍も大臣も蒙氏と争おうとはしなかった。
「始皇甚だ蒙氏を尊寵し、之を信任して賢とす」
信頼は、一族の誇りになる
出典:史記・蒙恬列伝
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15趙高を裁く
弟の蒙毅は、罪を犯した宦官趙高を法に従って死罪と判じた。始皇帝が趙高を赦したため、趙高は蒙氏を深く恨んだ。
「毅敢えて法を阿らず、高罪死に当たると」
正しい判断が、恨みを買うこともある
出典:史記・蒙恬列伝
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16扶蘇と上郡へ
始皇帝に諫言した長男扶蘇は、北の上郡に送られて蒙恬の軍を監督することになった。二人は北の地で親しく過ごした。
「扶蘇をして北のかた蒙恬に上郡に監たらしむ」
左遷先で、生涯の信頼関係が生まれる
出典:史記・李斯列伝
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17偽りの詔
始皇帝が巡行中に急死すると、趙高と李斯は遺言を偽り、扶蘇と蒙恬に自害を命じる詔を送った。
「扶蘇・蒙恬に死を賜う」
最も危ういのは、トップが代わる時
出典:史記・李斯列伝
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18もう一度確かめよ
詔を受けて自害しようとする扶蘇を、蒙恬は、偽りかもしれない、もう一度確かめてから死んでも遅くないと必死に止めた。
「請う復た請え。復た請いて而る後に死すとも、未だ暮れざるなり」
取り返しのつかない決断の前に、確かめる
出典:史記・李斯列伝
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19父が死を賜う
扶蘇は、父が子に死を命じたのなら、何を確かめることがあろうと言って、自ら命を絶った。
「父にして子に死を賜う、尚安くんぞ復た請わん」
真面目さが、時に命取りになる
出典:史記・李斯列伝
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20囚われる
蒙恬は自害を拒み、陽周に捕らえられた。弟の蒙毅も別の場所で殺された。
「蒙恬肯えて死せず。使者即ち以て吏に属し、陽周に繋ぐ」
すぐに諦めないことも、一つの抵抗
出典:史記・蒙恬列伝
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21三世の信
獄中の蒙恬は、自分の家は祖父の代から三代にわたって秦に功と信を積んできたと語った。
「吾が先人より、子孫に及ぶまで、功信を秦に積むこと三世なり」
積み上げた信頼は、自分の支えになる
出典:史記・蒙恬列伝
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22反乱できる力を持ちながら
蒙恬は、三十万の兵を率いて反乱できる力はあるが、死ぬと分かっていて義を守るのは、先人の教えを汚したくないからだと言った。
「其の勢い以て畔くに足る。然れども自ら死を知りて義を守る」
力があっても、使い方を誤らない
出典:史記・蒙恬列伝
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23諫めて死す
蒙恬は、自分が言うのは命乞いのためではなく、諫言して死ぬためだと述べた。
「凡そ臣の言う所は、以て誅を免れんことを求むるに非ず、将に諫めを以て死せんとするなり」
最後まで、言うべきことは言う
出典:史記・蒙恬列伝
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24地脈を絶つ
最期に蒙恬は、長城を一万里も築いたのだから、地の脈を断ち切ったところもあるだろう、それが私の罪だと言って毒を仰いだ。
「此の其の中に地脈を絶つ無きこと能わざらん。此れ乃ち恬の罪なり」
大きな仕事には、自分でも気づかない代償がある
出典:史記・蒙恬列伝
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25薬を飲む
蒙恬は自ら薬を飲んで亡くなった。秦はその後まもなく滅んだ。
「乃ち薬を吞みて自殺す」
支えを失った国は、長く続かない
出典:史記・蒙恬列伝
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26司馬遷が長城を歩く
司馬遷は北辺を旅して蒙恬が築いた長城を見て、山を削り谷を埋めたその工事は、民の力を軽んじたものだったと記した。
「山を塹ち谷を堙め、直道を通ず、固より百姓の力を軽んず」
大事業の陰には、多くの人の苦労がある
出典:史記・蒙恬列伝(太史公曰)
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27地脈のせいではない
司馬遷は、蒙恬の罪は地脈を断ったことではなく、民を顧みるよう強く諫めなかったことだと評した。
「彊諫して百姓の急を振わず」
本当に省みるべき点は、別のところにある
出典:史記・蒙恬列伝(太史公曰)
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28筆の始まり後世の創作
蒙恬が毛筆を作ったという伝承が後世に生まれ、筆の祖として語られるようになった。史実かどうかは定かでない。
「蒙恬筆を造る」
武将にも、文化の伝説が残る
出典:博物志(伝承)
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29趙高の恨み
始皇帝の死後、かつて蒙毅に裁かれた趙高は、権力を握ると真っ先に蒙氏を除こうとした。
「趙高、蒙氏を怨む」
過去の恨みは、思わぬ時に返ってくる
出典:史記・蒙恬列伝
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30兄弟の別れ
蒙毅は始皇帝の病気平癒を祈る使いに出ていたため、帝の死の場に居合わせられなかった。それが趙高に付け込まれる隙となった。
「毅をして還りて山川に禱らしむ、未だ反らず」
大事な場面に居合わせられないこともある
出典:史記・蒙恬列伝
孔子春秋・魯
老子春秋・周
孫子春秋・呉
范蠡春秋・越
孟子戦国・鄒
荘子戦国・宋
白起戦国・秦
廉頗戦国・趙
韓非子戦国・韓
李牧戦国・趙
王翦戦国・秦
項羽秦末・楚
張良秦〜前漢
司馬遷前漢
班昭後漢
諸葛亮三国・蜀
曹操三国・魏
蘇軾北宋
王陽明明