秦末・楚
項羽の名言・逸話30選
四面楚歌に散った、西楚の覇王。得意な話は「誇りと情、そして引き際の難しさ」。
「力は山を抜き、気は世を蓋う」
項羽の逸話と名言
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1書と剣
若い項羽は、読み書きも剣術も身につかなかった。叔父の項梁が怒ると、字は名前が書ければよく、剣は一人を相手にするだけだ、一万人を相手にする術を学びたいと言った。
「書は以て名姓を記すに足るのみ。剣は一人の敵、学ぶに足らず。万人の敵を学ばん」
小さな技より、大きなことがしたい
出典:史記・項羽本紀
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2兵法も途中まで
そこで項梁が兵法を教えると、項羽は大喜びした。だが大筋を理解すると、それ以上は学ぼうとしなかった。
「略ぼ其の意を知り、又肯えて竟学せず」
飲み込みが早い人ほど、詰めが甘くなる
出典:史記・項羽本紀
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3取って代わるべし
始皇帝の巡行の行列を見物していた項羽は、あいつに取って代わってやると口走り、叔父は慌てて口をふさいだ。
「彼取って代わるべきなり」
若いうちから、天下を見ていた
出典:史記・項羽本紀
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4鼎を持ち上げる
項羽は身の丈八尺余り、青銅の鼎を持ち上げるほどの怪力で、才気も人並み外れていた。若者たちは皆彼を恐れた。
「力能く鼎を扛げ、才気人に過ぐ」
持って生まれた力は、使い方次第
出典:史記・項羽本紀
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5先んずれば人を制す
秦への反乱が広がると、会稽の長官は、先に動けば人を制し、遅れれば人に制されると言って項梁に挙兵を持ちかけた。項梁と項羽は機先を制して自ら立った。
「先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為る」
迷うより、先に動いた者が流れを作る
出典:史記・項羽本紀
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6上将軍を斬る
趙を救う途中、総大将の宋義は四十六日も進軍を止めて酒宴を開いていた。項羽は宋義を斬り、自ら軍を率いた。
「将に力を戮せて秦を攻めんとするに、久しく留まりて行かず」
動くべき時に動かないリーダーは、信を失う
出典:史記・項羽本紀
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7破釜沈舟
鉅鹿へ向かう項羽は、川を渡ると舟を沈め、鍋や釜を壊し、三日分の食糧だけを持たせた。兵たちに、生きて帰る道はないと示したのだった。
「釜甑を破り、廬舎を焼き、三日の糧を持ち、以て士卒に必死を示す」
退路を断つと、人は本気になる
出典:史記・項羽本紀
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8膝で進む諸侯
鉅鹿で秦の大軍を破った項羽の陣営に招かれた諸侯の将軍たちは、膝をついて進み、誰も顔を上げられなかった。
「諸侯の将、轅門に入るに、膝行して前まざるは無く、敢えて仰ぎ視るもの莫し」
圧倒的な結果は、言葉より雄弁
出典:史記・項羽本紀
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9降兵二十万
降伏した秦兵の不満が高まると、項羽は反乱を恐れて二十万人を生き埋めにした。この非情さが、のちに人心を失う一因となった。
「秦の吏卒尚衆く、其の心服せず」
恐れから下した決断は、のちに必ず響く
出典:史記・項羽本紀
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10鴻門の会
宴席で范増は劉邦を殺せと何度も合図したが、項羽は応じなかった。それどころか、劉邦の謀反を密告した者の名まで明かしてしまった。
「此れ沛公の左司馬曹無傷之を言う」
人の良さが、勝負どころでは命取りにもなる
出典:史記・項羽本紀
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11范増が去る
劉邦側の策略で、項羽は唯一の参謀范増を疑うようになった。范増は、天下の大勢はもう決まった、あとは自分でおやりなさいと言い残して去り、帰る途中で亡くなった。
「天下の事大いに定まれり。君王自ら之を為せ」
支えてくれる人を疑えば、最後は一人になる
出典:史記・項羽本紀
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12錦を着て夜歩く
秦の都咸陽を落とした後、ここを都にせよと勧められた項羽は、故郷に錦を飾りたいと言って東へ帰った。
「富貴にして故郷に帰らざるは、繡を衣て夜行くが如し」
成功したら、まず故郷に見せたい
出典:史記・項羽本紀
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13冠をかぶった猿
都を捨てる項羽を見て、ある者は楚の人は冠をかぶった猿にすぎないと陰口を叩いた。項羽はそれを聞いて、その男を釜茹でにした。
「人言う、楚人は沐猴にして冠するのみと」
悪口に過剰に反応すると、器が知られる
出典:史記・項羽本紀
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14咸陽を焼く
項羽は降伏した秦王を殺し、咸陽の宮殿に火を放った。火は三か月消えなかった。
「火三月滅えず」
壊すのは一瞬、失った信頼は戻らない
出典:史記・項羽本紀
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15彭城の大勝
劉邦が五十六万の連合軍で項羽の本拠彭城を奪うと、項羽は三万の精鋭で取って返し、一日で大軍を打ち破った。
「漢軍皆走り、睢水之が為に流れず」
本気の少数は、油断した大軍に勝つ
出典:史記・項羽本紀
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16一騎打ちを望む
対陣が長引くと、項羽は劉邦に、天下がこれほど乱れているのは我々二人のせいだ、一騎打ちで決着をつけようと呼びかけた。
「願わくは漢王と挑戦して雌雄を決せん」
長引く争いは、正面から決着をつけたい
出典:史記・項羽本紀
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17知恵で戦う
一騎打ちを挑まれた劉邦は笑って、私は知恵で戦うが力では戦わないと答えて断った。
「吾寧ろ智を闘わすも、力を闘わす能わず」
相手の土俵に乗らないのも、ひとつの強さ
出典:史記・項羽本紀
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18父の羹
項羽は捕らえていた劉邦の父を大鍋の前に据え、降らなければ煮ると脅した。劉邦は、煮たならスープを一杯分けてくれと言い返し、項羽は思いとどまった。
「今急に下らずんば、吾太公を烹ん」
脅しは、通じない相手もいる
出典:史記・項羽本紀
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19匹夫の勇
かつて項羽に仕えた韓信は、項羽は一喝すれば千人がひれ伏すほど勇ましいが、優れた将に任せられない、ただの個人の勇気だと評した。
「項王は喑噁叱咤すれば千人皆廃す。然れども賢将に任属する能わず。此れ特に匹夫の勇のみ」
一人で強いことと、組織で勝つことは違う
出典:史記・淮陰侯列伝
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20婦人の仁
韓信はまた、項羽は人には優しく、病人がいれば涙を流して食事を分けるが、手柄を立てた者に領地を与える段になると惜しんで渡せないと評した。
「人の疾病有るを見れば、涕泣して食飲を分つ」
優しさがあっても、報いなければ人は去る
出典:史記・淮陰侯列伝
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21印を握りしめる
項羽は、手柄を立てた部下に爵位の印を与えようとしても、角がすり減るまで握りしめて手放せなかったと、韓信は語った。
「印刓敝するも、忍びて予うる能わず」
与えるべき時に、出し惜しみしない
出典:史記・淮陰侯列伝
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22韓信を用いず
韓信はもともと項羽の部下だったが、低い位のまま献策も用いられず、劉邦のもとへ去った。のちに項羽を滅ぼす大将軍となった。
「言聴かれず、画用いられず」
身近にいる才能を見落とすと、敵になる
出典:史記・淮陰侯列伝
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23天下を二分する
戦いに疲れた項羽は劉邦と和約を結び、鴻溝を境に東を楚、西を漢と天下を分けて、人質を返し兵を引いた。
「天下を中分し、鴻溝より西を割きて漢と為し、東を楚と為す」
約束を信じた側が、裏をかかれることもある
出典:史記・項羽本紀
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24四面楚歌
垓下で包囲された夜、四方の漢軍から故郷楚の歌が聞こえてきた。項羽は楚の人々がもう敵に降ったのかと驚いた。
「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」
気づいた時には、周りが変わっていることもある
出典:史記・項羽本紀
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25垓下の歌
最後の夜、項羽は酒を飲みながら自ら歌った。力は山をも抜き気は世を覆うほどなのに、時に恵まれないと。
「力は山を抜き、気は世を蓋う。時利あらずして騅逝かず」
力があっても、時の流れには勝てないことがある
出典:史記・項羽本紀
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26虞や虞や
歌の最後で、項羽は愛する虞美人の名を呼び、お前をどうしたらよいのかと嘆いた。周りの者は皆泣き、顔を上げられなかった。
「虞や虞や、若を奈何せん」
最後に思うのは、大切な人のこと
出典:史記・項羽本紀
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27快く戦う
わずか二十八騎になった項羽は、自分が負けるのは天のせいで戦が下手なせいではないと示すため、部下の前で包囲を三度破ってみせた。
「今日固より死を決す。願わくは諸君の為に快戦せん」
最後まで、自分らしく戦う
出典:史記・項羽本紀
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28江東に顔向けできない
烏江の渡し場で、亭長は舟で江東に戻って再起せよと勧めた。項羽は、八千人の若者を連れて出て一人も帰らせられなかったのに、どの面下げて戻れようかと断った。
「縦い江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありて之に見えん」
誇りを守ることと、生きのびることの間で
出典:史記・項羽本紀
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29愛馬を託す
項羽は、五年間乗り続け一日千里を駆けた愛馬騅を殺すにしのびず、亭長に贈った。
「吾此の馬に騎ること五歳、当たる所敵無し。之を殺すに忍びず、以て公に賜う」
共に戦った仲間には、最後まで情をかける
出典:史記・項羽本紀
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30覇王の評
司馬遷は、項羽は何の地盤もない農村から身を起こし、わずか三年で諸侯を率いて秦を滅ぼした、それほどの人物は古来いなかったと称えた。
「羽は尺寸有るに非ず、勢いに乗じて隴畝の中より起こり、三年にして遂に五諸侯を将いて秦を滅ぼす」
ゼロからでも、時代を動かせる
出典:史記・項羽本紀(太史公曰)
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