前漢
司馬遷の名言・逸話30選
屈辱に耐えて『史記』を完成。得意な話は「屈辱を越えて、志を遂げる」。
「天人の際を究め、古今の変に通ず」
司馬遷の逸話と名言
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1李陵を弁護する
匈奴に降った将軍李陵を、司馬遷は一人だけ弁護した。武帝の怒りを買い、死刑か宮刑かを迫られ、宮刑を受けて生きる道を選んだ。
「人固より一死有り、或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し」
死に方より、何のために生きるかで重さが決まる
出典:報任安書/漢書・司馬遷伝
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2父の遺言
歴史書の完成を果たせず死にゆく父司馬談は、息子の手を取り、自分の志を継げと泣いて頼んだ。司馬遷は涙を流して誓った。
「小子不敏なりと雖も、請う悉く先人の次ぐ所の旧聞を論ぜん」
受け継いだ志は、自分の手で形にする
出典:史記・太史公自序
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3発憤して書く
司馬遷は、文王も孔子も屈原も、苦境の中でこそ名著を残したと語り、自らも屈辱の中で筆を執り続けた。
「蓋し西伯拘われて周易を演べ、仲尼厄して春秋を作る」
悔しさは、何かを生み出す力になる
出典:報任安書
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4二十歳の大旅行
二十歳の司馬遷は、長江や淮河を巡り、会稽山に登り、孔子の故郷を訪ねて、歴史の現場を自分の足で歩いた。
「二十にして南のかた江淮に遊ぶ」
現場を見た人の言葉には重みがある
出典:史記・太史公自序
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5忍んで生きる
宮刑の屈辱に耐えて生き続けたのは、まだ書き終えていない仕事があったからだと、司馬遷は友への手紙に記した。
「隠忍して苟も活くる所以の者は、私心に尽くさざる所有るを恨めばなり」
やり残したことがある限り、生きる意味がある
出典:報任安書
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6名山に蔵す
司馬遷は、書き上げた史書を名山に納め、理解してくれる人に伝えたいと願った。今の評価ではなく後世を見ていた。
「之を名山に蔵し、之を其の人に伝う」
分かってくれる人は、いつか必ず現れる
出典:報任安書
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7李陵の人柄
司馬遷は、李陵と親しかったわけではないが、身を顧みず国の危急に尽くす人だと見て、その人柄を信じて弁護した。
「常に奮って身を顧みず、以て国家の急に殉ず」
親しさではなく、見てきた事実で人を判断する
出典:報任安書
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8天道是か非か
清廉な伯夷・叔斉は飢え死にし、悪人の盗跖は天寿を全うした。司馬遷は、天は本当に善人に味方するのかと問いかけた。
「所謂天道は是か非か」
報われない理不尽を、まっすぐ問う勇気
出典:史記・伯夷列伝
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9桃李言わず
口下手だった名将李広が亡くなると、天下の人々が泣いた。司馬遷は、桃や李は何も言わないが、その下には自然に道ができると評した。
「桃李言わざれども、下自ら蹊を成す」
徳のある人のもとには、黙っていても人が集まる
出典:史記・李将軍列伝
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10韓信の股くぐり
若い韓信は町のごろつきに股の下をくぐれと言われ、黙ってくぐった。のちに出世した韓信は、その男を咎めず役人に取り立てた。
「之を殺すも名無し、故に忍びて此に就けり」
大きな目的の前では、小さな屈辱を耐える
出典:史記・淮陰侯列伝
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11孔子を慕う
孔子の故郷を訪れた司馬遷は、廟堂や車服、礼器を見て立ち去りがたく、その人を心から仰いだ。
「至らずと雖も、心之に郷往す」
届かなくても、目指し続ける
出典:史記・孔子世家
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12屈原の淵
司馬遷は屈原が身を投げた汨羅の淵を訪れ、その人柄を思って涙を流した。
「未だ嘗て涕を垂れて其の人と為りを想見せずんばあらず」
心を動かされた人のことは、忘れられない
出典:史記・屈原賈生列伝
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13項羽の言い訳
司馬遷は敗れた項羽を高く評価しつつも、最後まで天のせいにして自分の過ちを認めなかったことを厳しく批判した。
「天の我を亡ぼすにして、用兵の罪に非ずと。豈に謬らずや」
失敗を天のせいにしない
出典:史記・項羽本紀
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14知己のために
刺客の豫譲は、自分を認めてくれた主君の仇を討とうと、顔を漆でただれさせ炭を飲んで声を変えてまで機会を狙った。
「士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる」
自分を認めてくれた人のためなら、人は力を尽くせる
出典:史記・刺客列伝
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15管鮑の交わり
管仲は若い頃、鮑叔と商売をして分け前を多く取ったが、鮑叔は管仲の貧しさを知っていて責めなかった。
「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり」
自分を理解してくれる友は、親にも等しい
出典:史記・管晏列伝
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16利のために
司馬遷は商人たちの伝記も書いた。人がせわしなく行き交うのは、皆が利益を求めているからだと、人間の本音を正面から認めた。
「天下熙熙として、皆利の為に来たり、天下攘攘として、皆利の為に往く」
きれいごとだけでなく、人の本音を見る
出典:史記・貨殖列伝
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17游侠の信義
司馬遷は、法に背くこともある侠客たちの中に、言葉を必ず守り命を惜しまず人を助ける信義を見出し、記録に残した。
「其の言必ず信、其の行い必ず果」
世間の評価と、その人の価値は別物
出典:史記・游侠列伝
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18笑いで解く
司馬遷は、冗談や機知で王を諫めた道化たちの伝記を書き、軽い言葉が争いを解くこともあると評した。
「談言微中、亦以て紛を解くべし」
ユーモアが、難しい場を救うこともある
出典:史記・滑稽列伝
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19燕雀と鴻鵠
日雇いの農夫だった陳勝は、仲間に笑われると「小鳥には大鳥の志は分からない」と言い、のちに秦への反乱の口火を切った。
「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」
大きな志は、周りに理解されなくてよい
出典:史記・陳渉世家
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20王侯将相
陳勝は、期日に遅れて死罪となる仲間たちに、王や将軍も生まれで決まるわけではないと呼びかけて立ち上がった。
「王侯将相寧んぞ種有らんや」
生まれで人生は決まらない
出典:史記・陳渉世家
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21御者の妻
名宰相晏子の御者は得意げに馬を操っていた。妻は、背の高いあなたが人の御者で得意になっていると諭し、御者は態度を改めた。
「意気揚揚として甚だ自得す」
小さな成功で、得意になりすぎない
出典:史記・管晏列伝
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22范雎の恩と怨み
魏で辱めを受けた范雎は、秦の宰相になると、一度の食事の恩にも報い、睨まれた程度の恨みにも必ず報いた。
「一飯の徳も必ず償い、睚眦の怨みも必ず報ゆ」
恩も怨みも忘れない人の強さと危うさ
出典:史記・范雎蔡沢列伝
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23刎頸の交わり
藺相如は自分を侮る廉頗を避け続けた。理由を問われ、国の危機を先にし個人の恨みを後にしているのだと答えた。廉頗は恥じて謝った。
「吾が此を為す所以の者は、国家の急を先にして私讐を後にすればなり」
個人の感情より、大きな目的を優先する
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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24鶏口牛後
蘇秦は韓の王に、秦に仕えて牛の尻になるより、小さくとも鶏の口になれと説いた。
「寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」
大組織の末端より、小さくてもトップに
出典:史記・蘇秦列伝
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25胆を嘗める
呉に敗れた越王勾践は、座るにも寝るにも苦い胆を嘗め、敗北の恥を自分に思い出させ続けた。
「女会稽の恥を忘れたるか」
悔しさを忘れないことが、再起の力になる
出典:史記・越王勾践世家
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26四面楚歌
垓下で包囲された項羽は、夜、四方から楚の歌が聞こえてくるのを聞き、味方がすでに敵に降ったと悟った。
「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」
孤立していると気づいた時が、決断の時
出典:史記・項羽本紀
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27一家の言
司馬遷は史記を書く目的を、天と人との関わりを究め、昔から今への変化を見通し、自分だけの見方を打ち立てることだと述べた。
「天人の際を究め、古今の変に通じ、一家の言を成さん」
人の受け売りではなく、自分の見方を持つ
出典:報任安書
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28腸一日にして九回す
司馬遷は、屈辱を受けてからというもの、一日に何度も腸がねじれるような苦しみに襲われると、友に打ち明けた。
「是を以て腸一日にして九回す」
苦しみを、正直に言葉にしてよい
出典:報任安書
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29鶏鳴狗盗
秦で捕らえられた孟嘗君は、犬のように盗みに入れる者と、鶏の鳴き真似が上手い者の働きで脱出できた。
「鶏鳴狗盗」
どんな特技も、役に立つ時が来る
出典:史記・孟嘗君列伝
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30百三十篇
司馬遷は苦難の末に、伝説の黄帝から当代までを記した百三十篇、五十二万字余りの史記を完成させた。
「凡そ百三十篇、五十二万六千五百字」
一字一字の積み重ねが、大きな仕事になる
出典:史記・太史公自序
孔子春秋・魯
老子春秋・周
孫子春秋・呉
范蠡春秋・越
孟子戦国・鄒
荘子戦国・宋
白起戦国・秦
廉頗戦国・趙
韓非子戦国・韓
李牧戦国・趙
王翦戦国・秦
蒙恬秦
項羽秦末・楚
張良秦〜前漢
班昭後漢
諸葛亮三国・蜀
曹操三国・魏
蘇軾北宋
王陽明明