戦国・趙
李牧の名言・逸話30選
匈奴十万騎を破った、趙の守護神。得意な話は「嘲られても、守り抜く」。
「烽火を謹み、間諜を多くす」
李牧の逸話と名言
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1北辺の良将
李牧は趙の北の国境を守る名将で、代や雁門に駐屯して匈奴に備えていた。
「李牧は趙の北辺の良将なり」
目立たない最前線を、任される人
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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2市場の税を軍に
李牧は現地で役人を置き、市場の税をすべて軍の本営に入れて兵の費用に充てた。
「市租皆幕府に輸入し、士卒の費と為す」
現場のお金は、現場のために使う
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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3牛を振る舞う
李牧は毎日牛を何頭も料理して兵たちに振る舞った。
「日に数牛を撃ちて士を饗す」
まず仲間の腹を満たす
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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4騎射を鍛える
李牧は兵に騎馬と弓の訓練を積ませた。
「士卒を習わし騎射す」
地道な訓練が、いざという時を支える
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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5烽火と間諜
李牧は烽火の見張りを徹底し、多くの間者を放って匈奴の動きを探った。
「烽火を謹み、間諜を多くす」
情報を制する者が、戦を制する
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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6戦うな
李牧は、匈奴が攻めてきたら急いで城に入って守れ、勝手に敵を捕まえようとする者は斬ると命じた。
「匈奴即ち入りて盗まば、急ぎ入りて収保せよ」
今はまだ戦う時ではない
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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7臆病者と呼ばれる
何年も戦わない李牧を、匈奴だけでなく味方の兵までが臆病者だと思うようになった。
「匈奴以て怯と為す。趙の辺兵と雖も、亦以為らく吾が将怯なりと」
笑われても、自分の計画を守る
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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8王に叱られても
趙王が李牧を責めても、李牧は方針を変えなかった。王は怒って李牧を外した。
「趙王之を譲むも、李牧故の如し」
正しいと信じることは、上に言われても曲げない
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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9後任の失敗
後任の将は匈奴が来るたびに打って出たが、毎回負けて損害を出し、国境の民は畑も牧畜もできなくなった。
「出でて戦う毎に数々利あらず、亡失多し」
目先の勇ましさは、長くはもたない
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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10門を閉ざす
王が改めて李牧を呼んでも、李牧は門を閉ざし、病だと言って出てこなかった。
「牧杜門して出でず、常に病と称す」
安請け合いはしない
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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11条件をつける
どうしてもと頼む王に、李牧は、前と同じやり方を認めてくれるなら引き受けると条件をつけた。
「王必ず臣を用いんとせば、臣前の如くせば、乃ち敢えて令を奉ぜん」
引き受けるなら、やり方ごと任せてもらう
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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12兵が戦いたがるまで
国境に戻った李牧のもとで、兵たちは毎日褒美をもらいながら使われることがなく、皆が一度戦いたいと願うようになった。
「辺士日に賞賜を得るも用いず、皆戦わんことを願う」
やる気が満ちるまで、待つ
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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13精兵を選ぶ
李牧は戦車千三百、騎馬一万三千、手柄を立てた勇士五万、射手十万を選び抜いた。
「選車千三百乗、選騎万三千匹、百金の士五万人、彀する者十万人」
本番の前に、最高の布陣を整える
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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14家畜を放つ
李牧はわざと牧場に家畜を大量に放ち、民を野に出して、匈奴を誘い出した。
「大いに畜牧を縦ち、人民野に満つ」
相手が欲しがるものを見せて、誘い出す
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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15わざと負ける
少数の匈奴が侵入すると、李牧はわざと負けて逃げ、数千人を置き去りにして、相手を油断させた。
「佯って北げて勝たず、数千人を以て委ぬ」
小さく負けて、大きく勝つ
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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16左右からの挟み撃ち
単于が大軍で攻め込んでくると、李牧は奇策の陣を敷き、左右に翼を広げて一気に包み込んだ。
「奇陳を多く為し、左右に翼を張りて之を撃つ」
準備した分だけ、一瞬で決められる
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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17十余万騎
この戦いで李牧は匈奴の騎兵十万余りを討ち取る大勝を収めた。
「大いに匈奴の十余万騎を破り殺す」
忍耐の年月が、一日で報われる
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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18北方を平らげる
李牧はさらに襜襤を滅ぼし、東胡を破り、林胡を降伏させ、単于は逃げ去った。
「襜襤を滅ぼし、東胡を破り、林胡を降し、単于奔走す」
勝ちの勢いを、次につなげる
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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19十余年
それから十数年、匈奴は趙の国境の城に近づこうとしなかった。
「其の後十余歳、匈奴敢えて趙の辺城に近づかず」
本当の勝利は、戦わずに済む時間を生む
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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20燕を攻める
のちに李牧は南に転じて燕を攻め、武遂と方城を取った。
「李牧将として燕を攻め、武遂・方城を抜く」
守りの名人は、攻めもできる
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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21秦の桓齮を破る
秦の大軍が趙に攻め込むと、李牧は宜安で迎え撃ち、秦軍を大破して将軍桓齮を敗走させた。
「秦軍を宜安に撃ち、大いに秦軍を破り、秦の将桓齮を走らす」
強大な相手にも、勝つ方法はある
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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22武安君
この功で李牧は武安君に封じられた。かつて秦の白起が名乗ったのと同じ称号である。
「李牧を封じて武安君と為す」
かつての敵の名将と、並び称される
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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23番吾の戦い
その後も李牧は番吾で秦を破り、さらに南では韓と魏の侵攻を防いだ。
「秦を番吾に撃ち、秦軍を破る。南のかた韓魏を距ぐ」
一人で何方面もの守りを担う
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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24秦の反間
李牧を破れない秦は、趙王の寵臣郭開に大金を渡し、李牧が謀反を企てていると讒言させた。
「秦多く趙王の寵臣郭開に金を与え、反間を為さしむ」
正面で勝てない相手は、裏から崩しにくる
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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25命令を拒む
趙王が李牧を将軍から外そうとすると、李牧は国の危機を前にその命令を受けなかった。
「李牧命を受けず」
筋を通すことが、命取りになることもある
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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26捕らえられる
趙は密かに人を送って李牧を捕らえ、斬った。
「趙微かに人をして李牧を捕得せしめ、之を斬る」
最も頼れる人を、自ら失う国の悲劇
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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27三か月後
李牧の死からわずか三か月後、秦の王翦が趙を攻め、趙王は捕らえられ、趙は滅んだ。
「後三月、王翦因りて急に趙を撃ち、大いに破る」
一人の人が、組織を支えていることがある
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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28文帝の嘆き
漢の文帝は、廉頗や李牧のような将軍がいれば匈奴など恐れないのにと嘆いた。
「吾独り廉頗・李牧を得て吾が将と為さざるかな」
名将の名は、時代を越えて惜しまれる
出典:史記・馮唐列伝
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29門の外は将軍に
馮唐は文帝に、昔の趙の王は、城門の内は王が治め、外は将軍に任せたと語り、だから李牧は力を尽くせたのだと説いた。
「閫以内は寡人之を制し、閫以外は将軍之を制す」
任せた相手には、口を出しすぎない
出典:史記・馮唐列伝
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30任せて成果を問う
馮唐は、李牧は市場の税を自由に使い、王は細かく口を出さず、ただ結果だけを求めたと語った。
「委任して成功を責む」
任せて、結果で評価する
出典:史記・馮唐列伝
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