戦国・秦
王翦の名言・逸話30選
六十万を率いて楚を滅ぼした老将。得意な話は「慎重さと、上司との付き合い方」。
「六十万人に非ざれば不可なり」
王翦の逸話と名言
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1兵を好む
王翦は頻陽の人で、若い頃から兵法を好み、のちの始皇帝である秦王政に仕えた。
「少くして兵を好み、秦の始皇に事う」
好きなことを、仕事にする
出典:史記・白起王翦列伝
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2閼与を攻める
王翦は趙の閼与を攻めて落とし、九つの城を取った。
「王翦将として趙の閼与を攻め、之を破り、九城を抜く」
着実に、一つずつ
出典:史記・白起王翦列伝
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3趙を滅ぼす
王翦は趙を攻め、李牧が除かれた後、ついに趙を降して趙王を捕らえた。
「王翦攻めて趙を破り、趙王を虜にし、尽く其の地を定む」
好機が来たら、一気に決める
出典:史記・白起王翦列伝
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4燕の都を落とす
燕の太子丹が刺客荊軻を送って秦王の暗殺を企てると、王翦は燕を攻め、都の薊を落とした。
「燕の薊を破りて還る」
相手の一手には、確実に応える
出典:史記・白起王翦列伝
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5二十万か六十万か
楚を攻めるのに何人要るかと秦王に問われ、若い李信は二十万、王翦は六十万と答えた。王は王翦を臆病だと笑った。
「王将軍老いたるかな、何ぞ怯なるや」
慎重さは、臆病と誤解されやすい
出典:史記・白起王翦列伝
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6病と称して帰る
意見が退けられた王翦は、病気を理由に職を辞し、故郷の頻陽に引きこもった。
「病と謝して、老いて頻陽に帰る」
通らない意見に固執せず、いったん身を引く
出典:史記・白起王翦列伝
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7李信の大敗
二十万で楚に攻め込んだ李信の軍は、楚の項燕に三日三晩追われ、大敗した。
「楚人之に因りて随い、三日三夜舎を頓めず、大いに李信の軍を破る」
見積もりの甘さは、現場で露わになる
出典:史記・白起王翦列伝
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8王が自ら謝る
秦王は自ら頻陽まで出向き、私があなたの策を用いなかったばかりに秦軍が辱められたと詫びた。
「寡人将軍の計を用いず、李信果たして秦軍を辱しむ」
正しかった人のもとには、いずれ人が来る
出典:史記・白起王翦列伝
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9六十万でなければ
再び頼まれた王翦は、どうしても私を使うなら六十万でなければ無理だと、条件を曲げなかった。
「大王必ず已むを得ずして臣を用いんとせば、六十万人に非ざれば不可なり」
引き受ける時こそ、条件は譲らない
出典:史記・白起王翦列伝
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10田畑をねだる
出陣の見送りで、王翦は良い田畑や屋敷や庭園を褒美にほしいと、しきりにねだった。
「美田宅園池を請うこと甚だ衆し」
欲のない顔より、分かりやすい欲を見せる
出典:史記・白起王翦列伝
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11五度の使者
国境に着くまでの間にも、王翦は五度も使者を送り返して、さらに良い田を求めた。
「関に至るまで、使いを使わして還りて善田を請う者五輩」
しつこいくらいが、ちょうどいいこともある
出典:史記・白起王翦列伝
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12疑いを解くため
やりすぎだと言う部下に、王翦は、秦王は疑い深い。国中の兵を預かる私が欲深い老人に見えれば、謀反を疑われずに済むと説明した。
「秦王怚にして人を信ぜず」
上司の不安を、先回りして消す
出典:史記・白起王翦列伝
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13封侯されずとも
王翦は、大王の将として手柄を立てても結局諸侯には封じられないから、せめて子孫のために田畑を願うのだと王に言っていた。
「大王の将と為り、功有るも終に侯に封ぜらるるを得ず」
報われ方は、自分から言葉にしておく
出典:史記・白起王翦列伝
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14戦わずに守る
楚に入った王翦は陣を固め、楚軍が何度挑発しても決して戦わなかった。
「王翦壁を堅くして守り、肯えて戦わず」
急がない。勝てる時まで待つ
出典:史記・白起王翦列伝
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15兵と同じ食事
王翦は毎日兵を休ませ、体を洗わせ、よい食事をとらせ、自ら兵と同じものを食べた。
「日に休士洗沐して、善く飲食し之を撫循し、親しく士卒と食を同じくす」
待つ間に、仲間の力を蓄える
出典:史記・白起王翦列伝
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16石投げと跳躍
しばらくして、兵たちは何をしているかと尋ねると、石投げや跳躍で遊んでいるという。王翦は、これで兵が使えると言った。
「軍中戯るるか。方に石を投げ超距す」
力が余り始めたら、動く時
出典:史記・白起王翦列伝
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17追撃
秦軍が動かないので楚軍が東へ引き上げ始めると、王翦は一気に追撃して大いに破った。
「因りて之を追い、大いに楚軍を破る」
相手が気を緩めた瞬間を逃さない
出典:史記・白起王翦列伝
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18項燕を破る
王翦は楚の名将項燕を討った。項燕は、のちの西楚の覇王項羽の祖父である。
「其の将軍項燕を殺す。楚の兵遂に敗走す」
強敵にも、時を待てば勝てる
出典:史記・白起王翦列伝
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19楚を滅ぼす
一年余りで王翦は楚王負芻を捕らえ、楚の地を平定して秦の郡県とした。
「歳余にして楚王負芻を虜にし、竟に楚の地を平らげて郡県と為す」
時間をかけた仕事は、崩れない
出典:史記・白起王翦列伝
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20百越を征す
王翦はさらに南へ向かい、百越の首長たちを従わせた。
「因りて南のかた百越の君を征す」
一つ終えたら、次の仕事へ
出典:史記・白起王翦列伝
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21子の王賁
王翦の子王賁も名将となり、魏・燕・斉の攻略に功を立てた。
「王翦の子王賁、李信と燕・斉の地を破り定む」
背中を見て、子も育つ
出典:史記・白起王翦列伝
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22六国を滅ぼす父子
秦が天下を統一するまでに、王翦と王賁の父子は多くの国の攻略に関わり、その功は大きかった。
「王氏・蒙氏の功多く、名後世に施す」
家族で一つの大仕事を成し遂げる
出典:史記・白起王翦列伝
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23始皇の師
司馬遷は、始皇帝は王翦を師として敬ったと記している。
「始皇之を師とす」
最後には、上からも敬われる
出典:史記・白起王翦列伝
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24趙を落とした手
趙攻めの際、名将李牧に正面から勝てなかった秦は、趙の寵臣を買収して李牧を除かせた。王翦はその直後に趙を破った。
「秦多く趙王の寵臣郭開に金を与え、反間を為さしむ」
正面以外の道も、考える
出典:史記・廉頗藺相如列伝
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25三世の将
秦が滅びる頃、王翦の孫の王離は鉅鹿で項羽と戦った。ある客は、三代続いた将軍は必ず敗れると言い、その通りになった。
「夫れ将為ること三世なる者は必ず敗る」
受け継いだものに、安住しない
出典:史記・白起王翦列伝
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26李信の若さ
李信は、かつて数千の兵で燕の太子丹を追い詰めた若い勇将だった。その勢いが、王翦との見積もりの差を生んだ。
「李信数千を以て燕の太子丹を衍水中に逐う」
若い成功は、次の判断を甘くさせることがある
出典:史記・白起王翦列伝
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27項燕の反撃
李信を破った楚の項燕は、三日三晩休まず追撃した。王翦が大軍を求めたのは、この楚の底力を知っていたからだった。
「三日三夜舎を頓めず」
相手の本気を、見くびらない
出典:史記・白起王翦列伝
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28慎重の理由
王翦は、楚は大国で、二十万では足りないと見積もっていた。勝ち方より負けない数を考えたのである。
「六十万人に非ざれば不可なり」
見積もりは、最悪の場合で立てる
出典:史記・白起王翦列伝
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29司馬遷の苦言
司馬遷は、王翦は始皇の師とされながら、徳による政治を助けて国の根本を固めることができず、ただ取り入って身を保ったと厳しく評した。
「始皇を輔けて徳を建てて其の根本を固むる能わず、偸合して容を取る」
身を守る知恵と、正すべき時の勇気は別
出典:史記・白起王翦列伝(太史公曰)
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30尺と寸
司馬遷は、白起と王翦の生き方を並べて、ことわざを引いた。
「尺も短き所有り、寸も長き所有り」
長所は短所に、短所は長所になる
出典:史記・白起王翦列伝(太史公曰)
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李牧戦国・趙
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司馬遷前漢
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曹操三国・魏
蘇軾北宋
王陽明明