北宋
蘇軾の名言・逸話30選
左遷先で東坡肉を生んだ詩人。得意な話は「逆境を楽しむ心」。
「一蓑の烟雨、平生に任す」
蘇軾の逸話と名言
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1烏台詩案
政治を風刺した詩が罪に問われ、蘇軾は投獄された。死を覚悟した獄中で、弟の蘇轍に来世も兄弟でいようと詩を送った。
「与に君世世兄弟と為り、更に来生の未了の因を結ばん」
最悪の時に、大切な人を思う
出典:宋史・蘇軾伝/蘇軾「獄中寄子由」
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2東坡に住む
黄州に流された蘇軾は、町の東の荒れた坂を借りて自ら耕し、そこから東坡居士と名乗った。
「竹杖芒鞋、馬より軽し、誰か怕れん」
身軽になれば、怖いものはない
出典:宋史・蘇軾伝/蘇軾「定風波」
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3雨に打たれても
黄州で急な雨に遭い、皆が慌てる中、蘇軾は気にせず歌いながら歩いた。振り返れば、雨も晴れもない境地があった。
「回首す向来蕭瑟の処、帰去すれば、也た風雨も無く也た晴れも無し」
過ぎてみれば、嵐も晴れもただの景色
出典:蘇軾「定風波」
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4清風と明月
赤壁の下で舟を浮かべた蘇軾は、人生の短さを嘆く友に、川の風と山の月は誰のものでもなく、いくら楽しんでも尽きないと語った。
「惟だ江上の清風と山間の明月とは、之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず」
お金のかからない楽しみは、無限にある
出典:蘇軾「赤壁賦」
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5変わるものと変わらないもの
蘇軾は、変わる側から見れば天地も一瞬だが、変わらない側から見れば自分も万物も尽きることがないと説いた。
「変ぜざる者よりして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり」
見方を変えれば、失うものは何もない
出典:蘇軾「赤壁賦」
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6大江東に去る
赤壁で三国の英雄たちを思った蘇軾は、長江の流れが千年の人物を洗い流していくと詠み、自らの白髪を笑った。
「大江東に去り、浪は淘い尽くす、千古の風流人物」
偉人も流れていく。だから今を楽しむ
出典:蘇軾「念奴嬌・赤壁懐古」
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7東坡肉
黄州では豚肉が安く、誰も料理法を知らなかった。蘇軾は弱火でじっくり煮込む方法を見つけ、のちに東坡肉と呼ばれる名物になった。
「火を慢くし、少しく水を著け、火候足る時、它自ら美し」
焦らずじっくり。時が満ちれば、うまくなる
出典:蘇軾「猪肉頌」
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8ライチ三百
さらに南の恵州に流されても、蘇軾はライチのおいしさに感激し、これが食べられるなら一生ここで暮らしてもいいと詠んだ。
「日に啖う茘支三百顆、辞せず長く嶺南の人と作るを」
どこにいても、楽しみは見つけられる
出典:蘇軾「食茘支」
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9海南島へ
六十を過ぎて最南端の海南島に流された蘇軾は、島の若者に学問を教えた。教え子の姜唐佐は、のちに海南で初めて郷試に合格したと伝わる。帰る時、この旅は人生で一番の奇遊だったと詠んだ。
「九死南荒吾恨みず、茲の遊奇絶にして平生に冠たり」
流された先が、人生の一番の旅になることもある
出典:蘇軾「六月二十日夜渡海」
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10三つの流刑地
晩年、自分の肖像画に、生涯の功績はと問われれば、黄州・恵州・儋州、つまり流された三つの地だと書いた。
「問う汝平生の功業、黄州恵州儋州」
挫折した場所こそ、自分を作った場所
出典:蘇軾「自題金山画像」
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11蘇堤
杭州の知事となった蘇軾は、泥に埋まりかけた西湖を浚い、その泥で長い堤を築いた。今も蘇堤と呼ばれている。
「西湖を把りて西子に比せんと欲すれば、淡粧濃抹総て相宜し」
飾っても飾らなくても、本物は美しい
出典:宋史・蘇軾伝/蘇軾「飲湖上初晴後雨」
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12中秋の月
中秋の夜、七年会えていない弟を思い、蘇軾は酒を飲みながら月に詞を詠んだ。
「但だ願わくは人長久にして、千里嬋娟を共にせんことを」
離れていても、同じ月を見ている
出典:蘇軾「水調歌頭」
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13亡き妻の夢
妻の王弗を亡くして十年、蘇軾は夢で妻が故郷の窓辺で髪を整える姿を見て、言葉もなく涙を流した。
「十年生死両つながら茫茫」
忘れようとしなくても、忘れられない人がいる
出典:蘇軾「江城子」
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14時流に合わない腹
蘇軾が腹を叩いて中身を尋ねると、侍女の王朝雲は「時流に合わないものでいっぱい」と答え、蘇軾は大笑いしたと伝わる。
「一肚皮の不合時宜」
世間とずれていることを、笑って誇る
出典:後世の逸話集
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15八風吹けども
蘇軾は「八つの風にも動じない」と詩を書いて禅僧の仏印に見せた。仏印が「屁」と一言書き返すと、怒って川を渡って抗議しに行ったと伝わる。
「八風吹けども動ぜず、一屁江を過ぎ来たる」
悟ったつもりの自分を、笑い飛ばす
出典:後世の伝説
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16廬山の真の姿
廬山は見る場所によって峰にも尾根にも見える。蘇軾は、山の本当の姿が分からないのは、自分が山の中にいるからだと詠んだ。
「廬山の真面目を識らざるは、只だ身の此の山中に在るに縁る」
渦中にいると、全体は見えない
出典:蘇軾「題西林壁」
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17一頭地を出だす
科挙の試験官だった欧陽脩は、若い蘇軾の答案に驚き、この人に道を譲って一歩前に出させようと言った。
「老夫当に路を避け、他をして一頭地を出ださしむべし」
若い才能を見つけたら、道を譲る
出典:宋史・蘇軾伝
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18政敵との和解
かつての政敵王安石を、晩年の蘇軾は金陵に訪ね、何日も共に遊び詩を交わした。もっと早く親しくなればよかったと詠んだ。
「我に勧めて三畝の宅を試求せしむ、公に従いて已に十年遅きを覚ゆ」
対立した相手とも、いつか分かり合える
出典:蘇軾「次荊公韻」
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19大勇
若い蘇軾は、張良が老人の無礼に耐えた話を論じ、本当の勇者は突然のことにも驚かず、理不尽にも怒らないと説いた。
「卒然として之に臨むも驚かず、故無くして之に加うるも怒らず」
すぐに怒らないことこそ、本当の強さ
出典:蘇軾「留侯論」
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20堅忍不抜
蘇軾は、大事を成し遂げた人には、優れた才能だけでなく、何があっても揺るがない粘り強さがあったと論じた。
「古の大事を立つる者は、惟だ超世の才有るのみならず、亦必ず堅忍不抜の志有り」
才能より、続ける力
出典:蘇軾「晁錯論」
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21春宵一刻
蘇軾は春の夜の、花の香りとおぼろ月のひとときを、千金にも値すると詠んだ。
「春宵一刻直千金」
何気ない今この瞬間が、何より貴い
出典:蘇軾「春夜」
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22賢くなくていい
息子が生まれた時、蘇軾は、皆は子が賢くなるよう願うが、自分は賢さで一生を誤ったから愚かで素直に育てと詠んだ。
「人皆子を養いて聡明を望む、我は聡明に一生を誤らる」
賢さより、健やかさを願う
出典:蘇軾「洗児」
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23寒食帖
黄州で三度目の寒食節を迎えた蘇軾は、雨と貧しさの中の心情を詩にし、自ら筆を執った。その書は今も名筆と称えられる。
「自ら我黄州に来たりて、已に三たび寒食を過ごす」
つらい時期に生まれたものが、後に宝になる
出典:蘇軾「黄州寒食詩」
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24二人の閑人
月の美しい夜、眠れない蘇軾は友の張懐民を訪ね、二人で庭を歩いた。月も竹もどこにでもあるが、それを楽しむ暇人が少ないだけだと書いた。
「何れの夜にか月無からん。但だ閑人の吾が両人の如き者少なきのみ」
美しいものはいつもある。気づく余裕があるかどうか
出典:蘇軾「記承天寺夜遊」
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25詩中に画あり
蘇軾は唐の王維の作品を評して、詩の中に絵があり、絵の中に詩があると称えた。
「詩中に画有り、画中に詩有り」
一つの道を極めると、別の道ともつながる
出典:蘇軾「書摩詰藍田煙雨図」
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26胸中の竹
竹の名手だった友の文与可は、描く前に竹の完成形を心に描いてから一気に筆を走らせた。蘇軾はその教えを書き留めた。
「竹を画くには、必ず先ず成竹を胸中に得」
手を動かす前に、完成形を心に描く
出典:蘇軾「文与可画篔簹谷偃竹記」
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27天下に悪人なし後世の創作
蘇軾は、自分は上は天帝とも、下は物乞いの子とも付き合える、世の中に悪い人など一人もいないと語ったと伝わる。
「吾上は玉皇大帝に陪すべく、下は卑田院の乞児に陪すべし」
身分で人を分けない
出典:後世の伝承
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28少年の狂
四十歳の蘇軾は、密州で狩りに出て、老いた自分が少年のように血を騒がせていると勇ましく詠んだ。
「老夫聊か少年の狂を発す」
年をとっても、少年の心を忘れない
出典:蘇軾「江城子・密州出猟」
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29心安らかなる処
左遷された友王鞏に従って南方へ行った侍女の柔奴に、つらくなかったかと聞くと、心が安らかならそこが故郷だと答えた。蘇軾は感じ入って詞にした。
「此の心安らかなる処、是れ吾が郷」
心が落ち着く場所が、自分の居場所
出典:蘇軾「定風波」序
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30力むと違う
臨終の床で、友の僧が極楽を念じるよう勧めると、蘇軾は、極楽はあるだろうが、力んで目指したら違ってしまうと答えたと伝わる。
「著力すれば即ち差う」
頑張りすぎると、かえって遠のく
出典:後世の記録
孔子春秋・魯
老子春秋・周
孫子春秋・呉
范蠡春秋・越
孟子戦国・鄒
荘子戦国・宋
白起戦国・秦
廉頗戦国・趙
韓非子戦国・韓
李牧戦国・趙
王翦戦国・秦
蒙恬秦
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張良秦〜前漢
司馬遷前漢
班昭後漢
諸葛亮三国・蜀
曹操三国・魏
王陽明明