三国・魏
曹操の名言・逸話30選
乱世の奸雄と呼ばれた魏の覇者。得意な話は「実力主義と決断力」。
「老驥は櫪に伏すも、志は千里に在り」
曹操の逸話と名言
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1治世の能臣
若い曹操は人物評の名人許劭に自分の評を迫った。許劭はしぶしぶ、平和な世なら有能な臣、乱世なら奸雄だと答え、曹操は大笑いした。
「子は治世の能臣、乱世の奸雄なり」
どんな評価も、笑って受け止める
出典:異同雑語(三国志注)
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2五色の棒
洛陽北部の警察長官になった曹操は、門に五色の棒を掛け、夜間外出の禁を破った宦官の叔父さえ打ち殺した。以来、誰も禁を破らなかった。
「禁を犯す者有らば、豪強を避けず」
権力者にも、例外を作らない
出典:曹瞞伝(三国志注)
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3呂伯奢の一件
董卓から逃れる途中、世話になった家で疑心から人を殺めてしまった。注に伝わる異説だが、そのとき曹操は開き直ったという。
「寧ろ我人に負くとも、人我に負くこと毋れ」
疑いに駆られた決断は、悔いを残す
出典:孫盛雑記(三国志注)
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4天子を迎える
献帝が長安を逃れると、多くの臣が反対するなか、荀彧の進言を受けて曹操は天子を迎えた。これが覇業の大きな礎になった。
「主上を奉じて以て民望に従うは、大順なり」
大義を味方につける
出典:三国志・荀彧伝
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5屯田の令
戦乱で農地が荒れ果てると、曹操は兵や流民に土地を耕させる屯田を始め、食糧の不安をなくした。
「夫れ国を定むるの術は、兵を強くし食を足らすに在り」
戦う前に、まず食える仕組みを
出典:三国志・武帝紀注
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6裸足で迎える
官渡の戦いで袁紹の参謀許攸が寝返ってくると、曹操は靴もはかずに飛び出して迎え、手を打って喜んだ。
「子遠、卿来たる、吾が事済れり」
いい人材には、なりふり構わず飛びつく
出典:曹瞞伝(三国志注)
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7内通の手紙を焼く
官渡で勝った後、部下が袁紹と通じていた手紙が大量に見つかった。曹操は読まずにすべて焼かせた。
「紹の強きに当たりては、孤も猶自ら保つ能わず、況や衆人をや」
人の弱さを責めず、過去を水に流す
出典:魏氏春秋(三国志注)
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8郭嘉在らば
赤壁で大敗した曹操は、亡き参謀郭嘉が生きていればこんなことにはならなかったと嘆いた。
「郭奉孝在らば、孤をして此に至らしめず」
失って初めて分かる人の価値
出典:三国志・郭嘉伝
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9梅林の幻
行軍中に水がなく兵が渇きに苦しむと、曹操は「この先に梅林がある」と叫んだ。兵は口に唾が湧き、水場までたどり着いた。
「前に大梅林有り、子饒く甘酸にして、以て渇を解くべし」
希望を見せれば、人はもう一歩進める
出典:世説新語・仮譎
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10髪を切って首に代える
麦畑を荒らす者は死罪と命じた曹操の馬が、驚いて畑に入ってしまった。曹操は自ら罰を受けるとして、髪を切って首の代わりにした。
「法を制して自ら之を犯さば、何を以て下を帥いん」
決めたルールは、自分にも適用する
出典:曹瞞伝(三国志注)
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11唯才是挙
曹操は人材登用の布告を何度も出し、品行や家柄を問わず、才能さえあれば推挙せよと命じた。
「唯才是れ挙げよ」
過去より、今の能力を見る
出典:三国志・武帝紀
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12関羽を追わず
厚遇を受けながらも劉備のもとへ去っていく関羽を、家臣は追おうとした。曹操は、彼は主君に尽くしているのだと止めた。
「彼各おの其の主の為なり、追う勿れ」
去る者の忠義を、敵でも尊ぶ
出典:三国志・関羽伝
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13陳琳の檄文
袁紹のために曹操を罵る檄文を書いた陳琳が降ってくると、曹操は祖先まで罵ったことだけを咎め、その才を惜しんで登用した。
「卿昔本初の為に書を移す、但だ孤を罪状すべきのみ」
敵だった人の才能も、生かす
出典:三国志・王粲伝注(魏氏春秋)
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14鶏肋
漢中で戦局が膠着したとき、曹操は夜の合言葉を「鶏肋」とした。主簿の楊修だけが撤退の意図を察した。
「鶏肋」
捨てるには惜しいが、得るものも少ない
出典:九州春秋(三国志注)
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15短歌行
曹操は酒宴の詩で、人生の短さを嘆きながら、優れた人材が集まることへの願いを歌った。
「酒に対しては当に歌うべし、人生幾何ぞ」
人生は短い。だから人と志を分かち合う
出典:曹操「短歌行」
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16老いても志
五十を過ぎて北方遠征から帰った曹操は、年老いた名馬にわが身をたとえ、志は衰えないと詠んだ。
「老驥は櫪に伏すも、志は千里に在り。烈士暮年、壮心已まず」
年齢で志を諦めない
出典:曹操「歩出夏門行」
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17宛城の敗北
降伏した張繍に背かれ、曹操は長男と猛将典韋を失った。敗因は人質を取らなかったことだと認め、二度と同じ負け方はしないと語った。
「吾其の敗るる所以を知れり」
負けた理由を直視すれば、次は負けない
出典:三国志・武帝紀
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18吾が子房
荀彧が袁紹のもとを去って仕えてくると、曹操は大いに喜び、劉邦にとっての張良のような存在だと言った。
「吾が子房なり」
右腕となる人を得た喜び
出典:三国志・荀彧伝
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19郭嘉を悼む
最も信頼した若い参謀の郭嘉が三十八歳で亡くなると、曹操は深く悲しみ、荀彧への手紙で、十一年苦楽を共にした彼のことが忘れられないと綴った。(「哀しい哉奉孝」と三度嘆く有名な場面は、演義の創作)
「奉孝を追惜し、心より去る能わず」
大切な人を、言葉を尽くして悼む
出典:三国志・郭嘉伝注
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20質素な葬儀
曹操は遺言で、葬儀は簡素にし、普段の服を着せ、金銀宝石は墓に入れるなと命じた。
「金玉珍宝を蔵むる無かれ」
飾らず、身の丈で去る
出典:三国志・武帝紀(遺令)
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21香を分ける
曹操の遺言には、残った香を妻たちに分け、暇なら履の紐を編んで売るよう命じる、細やかな言葉まで記されていた。
「余香は諸夫人に分かつべし」
豪傑も、最後は家族の暮らしを案じる
出典:陸機「弔魏武帝文」
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22錦を着せない
曹操は普段から倹約を好み、後宮の女性にも錦の服を着せず、屏風が壊れても修理して使った。
「後宮の衣は錦繡ならず」
上が倹約すれば、下も従う
出典:魏書(三国志注)
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23本心を述べる
帝位を狙っていると疑われた曹操は布告を出し、自分がいなければ何人が皇帝や王を名乗っていたか分からないと述べた。
「設し国家に孤無からしめば、当に幾人か帝を称し、幾人か王を称すべきかを知らず」
疑われたら、自分の言葉で説明する
出典:曹操「譲県自明本志令」
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24刀を持つ男
匈奴の使者に会うとき、曹操は容姿に自信がなく、部下を身代わりにして自分は刀持ちに扮した。使者は刀持ちこそ英雄だと見抜いた。
「床頭の刀を捉る人、此れ乃ち英雄なり」
本物は、どこにいても隠せない
出典:世説新語・容止
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25周亜夫の風
樊城の救援で、関羽の包囲を破った徐晃が軍規正しく戻ってくると、曹操は出迎えて漢の名将周亜夫にたとえて称えた。
「徐将軍、周亜夫の風有りと謂うべし」
部下の働きは、その場で具体的に褒める
出典:三国志・徐晃伝
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26孫仲謀の如く
濡須で孫権の陣の整然とした様子を見た曹操は、息子を持つなら孫権のようでありたいと嘆じた。
「子を生まば当に孫仲謀の如くなるべし」
ライバルの良さを、素直に認める
出典:呉歴(三国志注)
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27英雄は二人
客分だった劉備と酒を飲みながら、曹操は今の天下の英雄はあなたと私だけだと言った。劉備は驚いて箸を落とした。
「今天下の英雄は、唯だ使君と操とのみ」
見るべき人は、早くから見抜いている
出典:三国志・先主伝
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28馬超の強さ
潼関で馬超の猛攻に苦しんだ曹操は、あの小僧が死ななければ自分は葬られる場所もないと漏らした。
「馬児死せずんば、吾葬る地無し」
強敵の存在を、正直に認める
出典:山陽公載記(三国志注)
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29孫子に注す
曹操は数多くの兵書を読んだ末に孫子を最も深いと評し、自ら注釈を付けた。現存する孫子の多くはこの注釈本に由来する。
「吾兵書戦策を観ること多し、孫武の著わす所深し」
多く学んだ上で、最良のものを選ぶ
出典:曹操「孫子序」
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30反対者を賞す
危険な烏桓遠征に勝って戻った曹操は、出陣前に反対した者たちを呼び出し、罰するのではなく褒美を与えた。
「孤前に危を行いて、幸いを以て得たり。諸君の諫は万安の計なり」
結果が良くても、反対意見の価値を認める
出典:曹瞞伝(三国志注)
孔子春秋・魯
老子春秋・周
孫子春秋・呉
范蠡春秋・越
孟子戦国・鄒
荘子戦国・宋
白起戦国・秦
廉頗戦国・趙
韓非子戦国・韓
李牧戦国・趙
王翦戦国・秦
蒙恬秦
項羽秦末・楚
張良秦〜前漢
司馬遷前漢
班昭後漢
諸葛亮三国・蜀
蘇軾北宋
王陽明明